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仲間を大切に「人生先発完投」—ケガで野球を失った青年が、日本一の理学療法士を目指す理由

仲間を大切に「人生先発完投」—ケガで野球を失った青年が、日本一の理学療法士を目指す理由

命・健康を支える

公開日:2026.08.18

更新日:2026.08.23

はじめに

ぜひ最初に、彼のテーマソングを聴いてみてください。
順風満帆だったから、今があるわけではありません。

誰よりも野球が上手くなりたいと努力しながら、突然のケガで大好きな野球ができなくなった高校時代。

投げられない。
試合に出られない。
仲間が活躍する姿を、応援席から見つめるしかない。

そんな苦しい時間の中で出会った一人のトレーナーの言葉が、その後の人生を大きく変えました。

自分が誰かに救ってもらったからこそ、今度は自分が、苦しんでいる誰かの力になりたい。

そして、自分だけが活躍するのではなく、受け取ったものを仲間や後輩、次の世代へと渡していきたい。

高校時代の挫折から、理学療法士として歩む現在、そしてこれから実現したい未来まで。

その生き方を象徴する言葉が、

「人生先発完投」

なのかもしれません。

まずはテーマソングとともに、彼がどんな経験をし、何を受け取り、そして今、誰のために走り続けているのか。

その人生を辿ってみてください。

【未来へ駆ける空】

「努力の継続は裏切らない」

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日本大学鶴ケ丘高校へ入学。 野球部員は100人以上。
ライバルのピッチャーは30人以上。

小学校6年時は東京No.1サウスポ―と言われていた彼が初めて、井の中の蛙だということに気づいた瞬間だった。

ピッチャーしか野球で生きる道は無かった。

突き抜けないと勝ち残れない世界。
負けず嫌いで 「背番号1が欲しかった」、誰よりも上手くなりたかった。

懸命に努力を積み上げ、1年生の秋大会では1軍へ上がることができ、エースナンバーを争うところまできた。

ところが、2年生の春に、左肘をケガした。。。
そこから約1年間、大好きな野球ができなくなった。

投げられない。
試合に出られない。
仲間たちは活躍しているのに、自分は応援席にいる。

しかも、ケガをして病院へ通っていることで、「さぼっている」と思われ、悪口を言われたりもした。

「まだ痛いの?」
「気持ちが弱いんじゃない?」
「仮病使ってんじゃねーよ」

そんな言葉を浴びながら、言い返すこともできず、ただ耐える日々だった。

それでも、彼の人生を大きく変える出会いがあった。
当時のトレーナーだった。トレーナー自身、かつてマイナーリーグで野球をしていた経験があった。

「治すときは、自分のことだけ考えろ」

そして、こう続けた。

「自分は何をしに、この野球部へ入ってきたんだ?」
「甲子園へ行くこと、その為には早く治すこと。それがチームの勝利の貢献につながることだろ?」

その言葉をきっかけに、彼は自分の身体と本気で向き合い始めた。

毎日、1時間のストレッチ。
毎日、1時間走っての登下校。
ウェイトトレーニング。野球ノートを付け始め、初めて真剣に自分と向き合った。

ただ「ケガを治す」のではない。
ケガをする前の自分を超えるために、身体の基礎からつくり直していった。

そして、気づいた。
ケガは、人生を奪うだけのものではなかった。

身体と向き合うことで、ケガをする前よりも高いパフォーマンスを発揮できるようになり球速が20kmも上がった。

この経験から、人生において大事なことを学んだ。
努力は裏切らないと信じ、今できることの努力を重ねること。

「努力の継続は裏切らない」

これが、現在の理学療法士としての原点になっている。

「ケガをしたからこそ、わかる気持ちがある」

現在は、週4日の理学療法士としての勤務に加え、理学療法士養成大学の非常勤講師、臨床研究、全国での実技セミナー講師、そして土日は長男が通う野球クラブチームのサポートまで務めている。

目指しているのは、高輪ゲートウェイ駅前整形外科クリニックを「日本一のリハビリ施設」にすること。

その根底にあるのは、あの高校時代の経験だ。

スポーツに情熱を捧げている時期に、ケガによって苦しい思いをする人を減らしたい

スポーツ選手が、できるだけケガをせずにプレーしてほしい。
そして、もしケガをしてしまったとしても、ケガをする前より200%パフォーマンスを上げて、競技へ復帰してほしい。

患者様に対しても、同じ思いで向き合っている。

「痛みがあるから、やりたいことができない」
「旅行に行けない」
「今まで普通にできていたことが、できなくなってきた」

そんな患者様の気持ちに、応えられる理学療法士でありたい。

言葉ひとつで、人は勇気をもらうこともできる。
反対に、言葉ひとつで心を折られることもある。

だからこそ、目の前にいる人が「もう無理だ」と諦めそうになったとき、もう一度前を向けるように、一緒にその苦しみに寄り添い、「僕が絶対に何とかします」と希望を与える気概が、彼の言葉から伝わってくる。

「歳だから無理」を、当たり前にしない

理学療法士として、特に大切にしているのが「目標設定」だ。

「もう歳だから無理ですよ」

そんなふうに、自分の可能性を諦めてしまっている患者様に対しても、ご自身が望む以上の未来を叶えられるように関わっていく。

スポーツ選手に対しては、自分を救ってくれた高校時代のトレーナーのように。

「ケガをする前より、もっと上手くなって復帰する」

その可能性を信じて伴走する。
その姿勢は、単なる治療技術だけではない。

「本当はどうなりたいのか?」

相手に問い、真剣に体と向き合ってもらい、一緒に考えること。
それが、彼にとってのリハビリなのだ。

苦しかった高校時代が教えてくれた「仲間」の意味

ケガした2年時、大事な大会でチームが勝ち上がっていく一方で、自分は応援席にいた。

憧れていた舞台に、同級生が立っている。
チームが勝ち進んでいる。

本来なら嬉しいはずなのに、心の底から喜ぶことができなかった。

そんな自分に嫌気が差すこともあった。

しかし、高校3年時に大きな価値観の変化が起こる。

大学野球部の体験に参加した時に、仲の良い先輩たちの雰囲気に魅了された。
野球が上手い人も、そうでない人もいる。
それでも、一人ひとりにチームの中での役割があり、先輩たちは互いを尊敬し合っていた。
その姿に憧れた。

そして自分がスターティングメンバーから外れた時、試合に出ないことが分かっていても、「いつ呼ばれてもいいように準備しておく」ことを徹底した。

試合に出る人だけが戦っているのではない。
ベンチにいる人も、応援している人も、裏で支えている人も、みんなで戦っている。そのことを、後輩たちに自分の姿で伝えたかった。

「試合に出ていなくても、尊敬される先輩でありたい」

高校1年時には「自分が活躍したい」と考えていた。
高校3年時では、「試合に出られない仲間のためにも野球をする」という感覚が芽生えた。

その経験が、今の仕事のスタンスにもつながっている。

20代、30代は「自分の成長のため」。40代からは「人のため」

彼は、理学療法士としての自分自身の変化についても、率直に語る。

20代、30代は、
「自分が上手くなりたい」
「活躍したい」
「手柄を上げたい」
「注目されたい」

そんな思いがあった。

でも、40代になった今は違う。

「自分が活躍するだけではなく、後輩に活躍の場を譲れる人でありたい」
「誰かをサポートできる人でありたい」

自分が前に出るだけではなく、次の世代を育てる。
それもまた、自分の役割だと感じている。

だからこそ、理学療法士という仕事そのものの未来も変えていきたいと考えている。

「正しいことをしたかったら、偉くなれ」

世の中の常識を変えるには、影響力が必要だ。
彼が大切にしているのが、ドラマ『踊る大捜査線』で有名になった、

「正しいことをしたかったら、偉くなれ」

という言葉だ。

現場でどれだけ良い治療をしても、それだけでは届く範囲に限界がある。
だからこそ、大学で研究し、国際学会で学術発表もする。
世界で活躍する理学療法士になる。

そうすれば、日本でも注目されれば、講師として呼ばれ本当に必要なリハビリを伝えられる。
そして、スポーツで苦しんでいる人を救えるセラピストを、もっと増やせる。

「現場レベルでより良い治療法を、セラピストや患者様に届けたい」

その先にあるのは、自分一人の成功ではない。

ケガで苦しんでいる人を救い、「本当になりたかった自分」の姿を叶える人を増やしていくこと。
その輪を広げるために、彼は影響力を持つため現場での実技研鑽、研究発表、後輩教育の探求に邁進している。

「頑張っている人が、ちゃんと報われる業界へ」

もう一つ、彼が変えたいと思っているのが理学療法士の世界だ。

「理学療法士を辞めます」
「仕事がつまらない」
「モチベーションがない」
「給料が安い」

そんな理由で、優秀な理学療法士が業界を離れていく現状がある。
それを変えたい。
頑張っている人が、頑張った分だけ評価される世界をつくりたい。

「20~30代で頑張った人が40代になって、腕があれば指名で飯が食えるを超えて、城が建つ」

そんな時代にしたい。

自分自身が技術を磨くだけではなく、次の世代が夢を持てる業界をつくる。
それもまた、彼が目指している未来だ。

人生の合言葉は「人生先発完投」

彼の家には、元プロ野球選手・村田兆治さんの色紙がある。

そこに書かれている言葉が、

「人生先発完投」

一度きりの人生。一度決めたなら、全力で最後までやり切る。

それは、彼の生き方そのものなのかもしれない。

そして、父親から教えられたのは、

「仲間を大切にしろ」

ということだった。

大正時代から受け継がれている飲食店を経営していた父親の周りには、いつもたくさんの友人がいた。
友人を大切にし、友人から愛される父親。
そんな姿を見ながら育った。

彼が小学生だった、あるとき父親から、

「本当に困ったときに助けてくれる仲間はいるのか?」

と聞かれた。

小学生の頃から、野球を通じて多くの友達と遊んでいた。
けれど、その言葉を聞いて初めて考えた。

「僕には、本当に困った時に助けてくれる友人はいるのか……?」

広く浅くではなく、本当に困ったときに助け合える仲間。
その大切さは、今も彼の中に残っている。

「こんな理学療法士がいるんだ」と思ってもらえたら

最後に、「この記事を読んだ人に、これだけは持ち帰ってほしい」と尋ねた。

返ってきた答えは、シンプルだった。

「こんな理学療法士がいるんだ、と思ってもらえたら嬉しいです」

そして、

「ぜひ話してみたい」
「一度セミナーに参加してみたい」
「ケガで苦しんでいるなら、この人に一度診てもらいたい」

そう思ってもらえたら嬉しい、と。

自分を救ってくれたトレーナーや先人たちから教わった技術を、今度は自分が誰かに渡していく。

「ケガをする前より、もっと上手くなって復帰する」
「年だから無理、を当たり前にしない」
「頑張っている人が、ちゃんと報われる世界をつくる」

そんな未来を目指して、今日も彼は、誰かの身体と人生に向き合っている。

編集後記

今回のお話を聞いていて、強く感じたのは、「技術を伝えたい人」なのではなく、「自分が頂いた恩を、次の誰かへ渡したい人」なのだということでした。

「自分だけが活躍するのではなく、人が本来なりたかった姿を叶えるために全力を出しきる」

それが、今の彼の仕事なのだと思います。

高校2年生のとき、マウンドに立てなかった青年が、今は誰かの未来を支える側に立っている。

人生には、思い通りにならない出来事があります。

でも、その経験をどう意味づけるかで、その後の人生は変わっていく。

「人生先発完投」

その言葉のように、最後まで全力で走り続けながら、自分が受け取ったバトンを次の世代へ渡していく。

そんな生き方の強さを感じるインタビューでした。

【未来へ駆ける空】

【歌詞】
踏み出す度 心が揺れる
未来の地図 滲んだまま
何万回と走ったろ グラウンドの空を
怖くて眠れない夜もあって
何を信じればいいか?って
正しい道って何だろう
おぼろげな月を見て
「よくここまできたね」って
未来の君から
誇れるように
涙を拭いて明日へ
そばにいてくれてありがとう
あなたの笑顔が光で 僕に力をくれるんだ
愛してくれてありがとう
ささやかな幸せを
あなた共に守ってゆきたいんだ
いつまでも
まだ見ぬ未来へ歩き出せ

何を目指し 夢を彷徨い
先も見えない真っ暗な日々よ
何万回と願ったろ まだ自分に期待して
「10年後も戦ってますか」誰かの為に
大切な人が待っている あの場所へ
夢は涙のその先に
待っているから
あと一歩 もう一歩
諦めるにはまだ早い
空を見上げて 思えば叶うと信じて
ありのままの姿で走り出せ
小さな希望のヒーローよ

僕はあなたのヒーローになりたかったんだ
今も何かに怯えながら走ってる
君が僕の前に現れたその日から
世界は彩り
やさしく見えたんだ

そばにいてくれてありがとう
あなたの笑顔が光で 僕に力をくれるんだ
愛してくれてありがとう
ささやかな幸せを
あなた共に守ってゆきたいんだ
いつまでも
まだ見ぬ未来へ走り出せ

【理学療法士 石谷勇人さん SNS】

【Facebook】
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【Instagram】
https://www.instagram.com/hayato_ishitani?igsh=MThpMnQwYzZ6eHNrdQ==

Writer /

記事担当ライター

Yuki Yoshino

吉野 結生

人々の人生を丁寧にヒアリングすることで定評あり。ターニングポイントや人の底から湧き上がる想いを拾い上げ、人に愛を持って接することが評判を呼び、口コミで広がり続けている。そのような想いを歌にして日々、多くの人に歌を届けている。現在、企業や事業者にその波が広がってきている。