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「私の人生」を、あきらめない。

「私の人生」を、あきらめない。

ビジネスを支える

公開日:2026.10.18

更新日:2026.10.18

「いつかやろう」と思っていたことが、もう二度とできなくなることがある。

高市さんが42歳のとき、母親が突然この世を去った。

その経験から、強く思うようになった。

「毎日、後悔しないように生きたい」

4人の子どもを育てながら、自分の夢と家族との時間の間で葛藤してきた。

だからこそ、今は同じように悩むママたちに伝えている。

「ママという肩書きじゃなく、自分の人生を生きてほしい」

そして、「私なんて」と立ち止まっている人が、もう一度「やってみよう」と思える場所をつくっている。

そんな高市さんの想いを感じながら、このテーマソングを聴いてほしい。

そして、人生の後悔を誰かの夢を応援する力へと変えてきた、その歩みを辿っていこう。

テーマソング
【あなたへ】

ママだからこそ、夢を追い続けられる場所を。

「これなら、ママたちにも仕事をしてもらえる!」

45歳のとき、オンライン秘書という仕事に出会った瞬間、高市さんの中にそんな直感が走った。

現在、高市さんは経営者向けのオンライン秘書サービスを展開している。

「一人雇うほどではないけれど、月10時間くらい事務を手伝ってほしい」

そんな経営者の声に応えるサービスだ。3か月契約で利用できるため、企業側にとっても人を雇うリスクを抑えながら、必要なところだけをサポートしてもらえる。

現在、一緒に働くのは約50人のママたち。

けれど、この仕事を始めた理由は、単なるビジネスチャンスではなかった。

そこには、自身が4人の子どもを育てる中で感じてきた「働きたいのに働けない」という葛藤と、母を突然亡くした経験、そして「一度きりの人生を後悔したくない」という強い想いがあった。

「私の人生、これで終わるのかな」

高市さん自身、かつては「社会に必要とされていないのではないか」と感じていた時期があった。

4人の子どもを育てながら、PTA活動もある。
毎日フルタイムで働くことは難しい。

39歳のとき、少しでもお金を稼ごうと事務職として仕事に復帰した。

けれど、仕事が楽しくない。

「私の人生、これで終わっていくのかなって、本当に嫌だったんです」

もっと自分の好きなことをして生きたい。

そう思った高市さんは、夢だったブライダルプランナーを目指すことにした。

スクールに通って資格を取得し、40歳で結婚式場へ。

周囲は20代のスタッフが多い中、土日は朝7時から夜9時まで働いた。

ところが、仕事に打ち込む一方で、家では異変が起きていた。

末っ子の娘が、ストレスから円形脱毛症になったのだ。

「娘にそこまでの想いをさせてまで仕事するのは違う」

そう感じ、結婚式場を辞めた。

夢を追うことと、子どもとの時間。

どちらも大切にしたい。

そんな葛藤を抱えながら、平日は日本航空の派遣事務、土日はブライダルフェアの業務委託という働き方にたどり着いた。

忙しい毎日だった。

それでも、自分の好きな仕事をしながら子育てもする。

「これなら両立できるかもしれない」

少しずつ、自分らしい働き方を探していた。

母の死が、人生を問い直した

そんな高市さんの人生を大きく変えたのが、42歳のときだった。

母が突然亡くなった。

69歳。

元気だった母は、これからもずっと生きていると思っていた。

だから、「親孝行はいつでもできる」と、どこかで思っていた。

その頃、父の会社では経営上の大きな問題が起きていた。
毎日のように母から心配の電話がかかってきていた。

けれど、高市さん自身にも余裕がなかった。

母の話をゆっくり聞いてあげることができなかった。

そして、ある日突然、その母は心筋梗塞を患い、いなくなった。

「お母さん、人生楽しめたのかな」

残された高市さんの中に、大きな喪失感と後悔が残った。

これから両親がゆっくり過ごせると思っていた。

もっと母との時間を過ごせると思っていた。

でも、その時間はもう戻ってこない。

母との時間を過ごせなかった心残りが今も胸に刺さっている。

しかし母の死をきっかけに、「毎日、後悔しないように生きたい」と心底思うようになった。

「お前が関わらなかったら、一生後悔する」

母が亡くなって1か月ほど経った頃、父から呼び出された。

「お前に会社に入ってほしい」

父は人材派遣と人材紹介の創業者。

自分には経営なんてできない。

姉は昔から優秀だった。他者と比べてしまう癖は根強く

自己肯定感も低かった自分には無理だと思った。

それでも父は言った。

「お前にはできるはずだ。やってみろ」

そして、もう一つ。

父は言った。
「お前が関わらないで会社が倒産したら、一生後悔する」

その言葉が、高市さんの背中を押した。

「これは私がやらないといけないのかな」

母からも、以前から「やってみたら」と言われていた。

だったら。

「やってみて失敗したら、しょうがない」

初めて、そう思えた。

2019年10月。

43歳で父の会社に入社した。

「自分が変わらなければ、何も変わらない」

しかし、入社後も簡単な道ではなかった。

やがてコロナ禍となり、人材派遣の事業も厳しい状況に置かれた。

返済が難しい状況も続いた。

そんな中で高市さん自身も、改めて自分の人生と向き合うことになる。

45歳で起業塾に入り、コーチングを受けた。

そこで強く感じたのが、

「自分が変わらなければ、何も変わらない」

ということだった。

これまでの高市さんは、周囲と自分を比べてしまうことが多かった。

「私は私の人生がある」

少しずつ、そう思えるようになった。

そして、これまでブライダルプランナーとして働いてきた経験から、社会のある現実にも気づいていた。

現場には若い女性が多い。

けれど、出産を機に辞めていく人が少なくない。

「本当にもったいない。社会的な損失だと思ったんです」

そこで生まれたのが、新しい願いだった。

「ママがキャリアを捨てずに、自分らしく輝ける場所をつくりたい」

「これなら、ママたちにもできる」

45歳。

オンライン秘書という仕事に出会った。

仕事内容を聞いた瞬間、これまでの経験と想いが一本につながった。

「これならママたちにもお仕事してもらえる!」

経営者コミュニティにも参加していた高市さんの周りには、

「月10時間くらいならお願いしたい」

「そのくらい手伝ってもらえたら助かる」

という経営者が実際にいた。

まずは個人事業として始めた。

依頼は少しずつ増えていった。

そして、あることに気づく。

月20日働くとして、1日30分。

子どもが寝た後や、幼稚園に行っている時間でもできる。

「隙間時間で働ける」

「これならママたちにもできる」

そう確信し、48歳で事業化した。

現在は約50人のママたちと業務委託契約を結び、経営者を支えている。

けれど、高市さんがつくりたいのは、単に「ママが働ける会社」ではない。

その先にあるものを見ている。

「ママ」という肩書きだけで生きなくていい

高市さんがスタッフのママたちにいつも伝えている言葉がある。

「ママという肩書きじゃなく、自分の人生を生きてほしい」

そして、

「夢を諦めないでほしい」

ということ。

高市さんにとって、この会社で働くことはゴールではない。

夢へ向かうための通過点でもいい。

実際、一緒に会社を立ち上げた社員の一人は、ある日、

「システムエンジニアになりたい」

と話した。

その夢に向かうために今までの仕事からは離れた。

一緒に立ち上げた仲間だから、寂しさはもちろんあった。

それでも高市さんは、全面的に応援して送り出した。

「彼女たちが自分らしく輝いて、夢を叶えていく姿を見るのが、私にとって一番の喜びなんです」

会社を大きくすることだけが、成功ではない。

ここから巣立っていく人が、自分の人生を歩き始める。

それもまた、高市さんにとって大切な成果なのだ。

「一人で背負っちゃだめよ」

母が天国から今の高市さんを見たら、どんな言葉をかけるだろう。

そう尋ねると、高市さんは少し考えて笑った。

「一人で背負っちゃだめよ、かな」

そして、

「体をあまり無理しちゃだめよ、って言うと思います(笑)」

実は高市さん自身も、母とよく似ている。

忙しくても止まらずに動いてしまう。

周りのことを考え、自分で背負ってしまう。

そんなところが似ているという。

だからこそ、母の死から学んだことがある。

「毎日、後悔しないように生きたい」

その言葉は、今の仕事にもつながっている。

「ありがとう」を、何度でも

もう一つ、高市さんが大切にしている言葉がある。

両親から教えられた、

「周りにしてもらったことは返していきなさい」

「感謝の気持ちを伝えていきなさい」

という教えだ。

何かしてもらったら、お礼状を書く。

感謝を言葉にする。

それを昔から徹底して教えられてきた。

だから今も、スタッフや周囲の人には「ありがとう」を何度も伝える。

「言わなくても分かってるから大丈夫ですよって言われるくらい(笑)。でも、感謝されて嫌な気持ちになる人はいませんから、何度でも伝えていきたいんです」

母から受け取ったもの。

父から受け取った言葉。

これまで出会ってきた人たちからもらったもの。

それらを次の人へ渡していく。

高市さんの仕事は、そんな「恩送り」のようにも見える。

「ママが笑顔なら、子どもも笑顔になる」

高市さんが10年後に、一緒に働く人たちに願っていること。

それは、とてもシンプルだ。

「自分のやりたいことをやって、夢を実現してほしい」

子育てが終わった途端、

「私は何をしたらいいんだろう」

と分からなくなってしまう人もいる。

体調を崩したり、心が疲れてしまったりする人もいる。

だからこそ、今のうちから夢を持ってほしい。

そして、夢に向かっている大人の姿を子どもたちに見せてほしい。

「ママ、いつも楽しそうでいいね」

子どもからそんな言葉をかけてもらえる大人を、たくさんつくりたい。

それが高市さんの願いだ。

「私なんて」から「やってみよう」へ

最後に、この記事を読んだ人へ伝えたいことを聞いた。

返ってきた答えは、まっすぐだった。

「人は誰もが素敵な存在です。生まれたからには、やりたいことを実現して生きてほしいです」

「自分にはできない」ではなく、

「やってみよう」

と思ってほしい。

自分自身も、そうやって一歩を踏み出してきた。

43歳で父の会社に入り、45歳で新しい働き方に出会い、48歳で事業化した。

もし、あのとき「私にはできない」と諦めていたら。

今の50人のママたちとの出会いもなかった。

だから高市さんは、これからも夢を追う。

自分自身のためだけではない。

かつての自分のように、「私なんて」と立ち止まっている誰かが、もう一度「やってみよう」と思える場所をつくるために。

母を失ったことで知った、「いつか」では間に合わないということ。

だからこそ、一度きりの人生を、自分らしく生きる。

そして今度は、その一歩を踏み出す人の背中を押す。

高市さんの人生は、そんな想いのバトンを、次の誰かへ渡し続ける物語なのかもしれない。

編集後記

高市さんのお話を伺っていて印象に残ったのは、「ママを働かせたい」という言葉よりも、その先にある「ママ自身の人生を生きてほしい」という想いでした。

4人の子どもを育てながら働く中で感じた葛藤。

夢だったブライダルの仕事に挑戦したこと。

娘さんの変化を見て、働き方を見つめ直したこと。

そして、お母さまとの突然の別れ。

人生には、「もっと早くやっておけばよかった」と思うことがあります。

けれど、高市さんはその後悔を抱えたまま立ち止まるのではなく、「だからこそ、今をどう生きるか」という問いに変えていました。

そして今、その問いを自分だけのものにせず、周りのママたちへ渡している。

「ありがとう」を何度でも伝えること。

夢を諦めないこと。

自分の人生を、自分で生きること。

高市さんの言葉は、子育て中の人だけでなく、「いつかやりたい」と思いながら日々を過ごしているすべての人に届くのではないでしょうか。

人生は、何歳からでも「やってみよう」と言える。

その姿を大人が見せることが、次の世代への何よりの贈り物なのかもしれません。

【あなたへ】
歌詞
あなた今 楽しめていますか
後悔はないですか
一人で背負っちゃダメよ
体も大切に
本当にやらなくていいの
明日を迎えに
あなたと共に歩むわね
今にありがとう

あなたの北極星はどこ
やりたいことやってみて
とびっきりの笑顔を見せて
この空から
愛よ届け

高市沙和さんSNS

【会社HP】
https://www.ailltd.co.jp/kaizen/index.html

Writer /

記事担当ライター

Yuki Yoshino

吉野 結生

人々の人生を丁寧にヒアリングすることで定評あり。ターニングポイントや人の底から湧き上がる想いを拾い上げ、人に愛を持って接することが評判を呼び、口コミで広がり続けている。そのような想いを歌にして日々、多くの人に歌を届けている。現在、企業や事業者にその波が広がってきている。